SYLVIE VARTAN IN JAPAN シルヴィ・ヴァルタン日本での半世紀を超える活躍:レナウン・ワンサカ娘TVCM、あなたのとりこリバイバル、日本公演、フランス映画祭

l'Album Sylvie Vartan



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SYLVIE VARTAN AU JAPON

- SYLVIE VARTAN, FRENCH ROCK SINGER/ENTERTAINER

"BIENVENUE AU JAPON, SYLVIE VARTAN !!" - ON ARRIVAL AT TOKYO HANEDA AIRPORT 30/09/1973.
FOR HER 4TH JAPAN CONCERT TOUR : FROM 1 OCT. TO 15 OCT. 1973
SYLVIE IN HER FAVORITE YVES SAINT LAURENT PENCIL STRIPE BLOUSE + STRAW RIBBON HAT OF THE DAY.
ONE OF ICONIC LOOKS OF SYLVIE, TIMELESS SYLVIE VARTAN - "LE STYLE VARTAN."

(photo taken by Yoshihiko Nagamine, a fan of Sylvie who offered it to me in 1990s.)

HO OUI! C'EST BON DE VOUS REVOIR
SYLVIE, KON-BAN-WA!



Sylvie Vartan
who looks bursted with
health and joy of life in each epoch,
who's lived many times more condenced days than regular people.
Overcoming two car accidents in youth, travelling worldwide, experiencing many cultures,
facing music fans' higher expectations, continuing popularity and all. Looks tireless as if a fairy or alien.
We now realize Vartan's also a human being having a finite lifespan. Still, 1st-class singer Sylvie Vartan's around and
organizes a new form of concert in Paris in 2021. Why not in Tokyo. Just like looking far out the universe,
we love Vartan this much: "right up to the moon - AND BACK." We should once again listen to
her that special voice, see that spirited performance, applause her
harder than ever before out of admiration.
Sylvie Vartan, authentic artist.
50th studio album 2021,
60th stage career!


・ SYLVIE VARTAN HISTORY (IN JAPANESE)
・ 2005 IN TOKYO / ・ 2002 "IRRESISTIBLEMENT" REVIVAL / ・ 1995 SYLVIE VARTAN BY PIERRE ET GILLES, TOKYO /
・ 1995 FESTIVAL DU FILM FRANCAIS YOKOHAMA / ・ THE 1970S JAPAN TOUR /
・ 1965 1ST JAPAN TOUR + TVCM RENOWN (SONG & ANECDOTE ABOUT COSTUME FITTING)






SYLVIE VARTAN HISTORY
- BUILT ON THE PHENOMENAL 1965 & THE SOUND 1970S


シルヴィ・ヴァルタン、2021年にステージ・キャリア60周年を迎える!
1965年日本初公演〜2018年公演/2021年フランスで50作目の新譜発売とパリ公演



1965 : シルヴィ・ヴァルタン(20歳)初来日、1965年5月7日の夜、東京羽田空港での記者会見(写真左)

シルヴィ・ヴァルタンは、ビートルズ(前年1964年オランピア劇場で共演)より1年余り早く、1965年5月7日に初めて日本の地に降り立った。ヴァカンス明けのシルヴィは、ソニア・リキエルのサマーニットにプリーツスカート。小麦色に日焼けしたほぼ素顔が印象的。報道陣の他、1000人ものファンが東京羽田空港で大歓迎。フランスから遠い極東の国で、学生服姿の若者達が小さな旗を振って出迎えるその光景にシルヴィは驚いたと話す(1990年12月TV東京の取材ほか)。 5月8日から20日まで兄でジャズ音楽家・作曲家・指揮者のエディ・ヴァルタン(27歳)を伴って全国ツアーを開催。5月8日付け朝日新聞朝刊 (空港での記者会見記事)によると、一行は公演前夜、5月7日の夜7時20分に羽田空港到着のフランス航空機で来日し、公演終了の翌日、5月21日に離陸。シルヴィのパンツスーツ(白)は、当時としては画期的なスタイル。(翌1966年には髪を長く伸ばし、サンローランのタキシードを着こなしている。)

120万枚を売り上げた「アイドルを探せ」/原題:La plus belle pour aller danser (日本発売:1964年11月/東京オリンピックの翌月)と、比類ない容姿やハスキー・ヴォイスでヴァルタン旋風を巻き起こした日本での滞在は、公演(東京、名古屋、大阪、神戸、京都)の他にTV出演、レナウンTVCMの収録、メディアの取材、イベント(西武百貨店)出席など仕事満載。シルヴィはその合間に相撲部屋訪問や観光も楽しんだ。身長168cmで華奢なシルヴィの洋服の嗜好を当時の雑誌から見ると、リキエルのタイトなパステルカラーのニットを愛用する一方、アメリカで買ったアディダスのスエード・トリコロール・シューズとジーンズでリハーサル。観光中には木登りも。70年代はシックなホットパンツ&シャツジャケットにブーツで木の上で横になるなど、お転婆。活発で一眼レフカメラ好き。

朝日新聞の公演批評(本ページ末尾に掲載)の「"よう精" にも似た魅力」と題した記事は興味深い。"愛らしい" といった平凡な単語は皆無。シルヴィは「舞台へとびだし」とか「清潔な退廃ムードといった奇妙な持ち味がある」「ロックの洗礼を受けた現代的な"よう精"」と評価。つまり、妖精なのだ。初期の舞台にすでに強弱のある多面的なステージ作りへの熱意が見える。1968年オランピア劇場公演から奥行きのある舞台構成と華麗で迫力あるステージ活動で邁進する多彩なアーティスト、シルヴィ・ヴァルタンを思わせる。ポピュラー音楽の黎明期、1961年に17歳で "全くの偶然から" 歌手デビューしたが、当初は俳優を志望していたシルヴィ・ヴァルタン。

日本滞在の後は南米各国を巡演。ブエノスアイレス空港到着を待つ報道陣やファンから熱烈な歓迎を受ける。飛行機のタラップを軽やかに足早に降りるポニーテールのシルヴィは少女のような屈託ない素顔の笑顔。ヴァルタン1965年世界ツアーは大変な過密スケジュール。本ツアーから英国のギタリスト、ミック・ジョーンズが参加し1970年代中頃までブレーンの一人とし作曲でも活躍。



写真右: シルヴィ・ヴァルタン/JOURS DE FRANCE誌の表紙(1969年末、1970年2月の事故前)。日本では1960年代終盤の写真は1970年代中頃のベスト・アルバムやシングル盤で見かける。

1970S : 1971年5月に2度目の来日。1965年5月の初来日から6年間の長い空白の後だが、再び大きな成功(2曲連続大ヒット)を収めた直後の注目の日本公演となる。その年月はシルヴィにとって人生で一番の幸福と不運が集中的に交差した波乱の時期だ。 1966年8月:長男誕生、1968年4月:自動車事故(無免許運転の車に激突され同乗の親友が死亡、シルヴィは左腕を骨折)、1970年:二度目の自動車事故(2月、シルヴィが助手席で顔面を負傷)、アメリカ長期滞在、7月父親の死、9月パリ公演。 シルヴィは、計り知れない心身の痛手を受けながらも、ニューヨークでの休養は多忙を極めるパリでは叶わなかった何かを学べる自由時間だったと言う。シルヴィ・ヴァルタンは推進力のある人。滞在中はキャリアの新展開を図って活動。新しいパリ公演を初めてシルヴィ自ら構想し同年の秋に実現させる。そうした稀に見る激動の歳月を経た待望の来日。(シルヴィは数か国語を話すが、英語は十代の頃アガサ・クリスティーをほぼ読破する中で習得したと言う。)

26歳になった長いブロンドのシルヴィ・ヴァルタン。そのシルヴィは、デビューから数年後の1965年4月に20歳で結婚しその翌月に兄エディを伴なって初来日したその一瞬と同じであろう筈がない。人は変容し進展する、ましてや進取果敢な新進スター、シルヴィ・ヴァルタン。ボブの髪型は20歳まで。1965年終盤から髪を伸ばし始めて翌年には肩を超える長髪。1970年から前髪も長く伸ばして横に流した髪型(写真下)。シルヴィは様々なスタイルを楽しんでいて、そのヘアスタイルの変遷から時期が特定できる。1970年初頭に発売されたヒット集アルバム「あなたのとりこ/悲しみの兵士」(RCA)のライナーに、シルヴィ・ヴァルタンを象徴するような言葉が紹介されている:

「私は仕事の面でも一流のアーティストになりたいし、それと同じように1人の女性としても豊かな人生を送りたい」

一方、日本のシルヴィのレコード・ジャケットは、RCA(日本ビクター)は、この1971年の来日まで頑なに一時期(1963/1965)の写真を多用。例えば、1970年秋発売の「あなたのとりこ」の解説に 《シルヴィも今年で26歳、早いものでもう10年のキャリアをもつ》 とあるが、ジャケットは依然として1964/1965年の20歳(ボブの髪型)のシルヴィだ。その上、1971年の来日中にシルヴィが日本語で録音した 「恋人時代」 のシングル盤の写真は更に若い19歳のシルヴィである。その来日中に撮影された優れた美しいシルヴィの写真を見るたびに不可解に思う。1970年代前半のアルバムにも時折1960年代終盤の写真を使用。RCAの真意は何か。長期的に何か功を奏しただろうか。



写真左:シルヴィ・ヴァルタン、1971年5月来日中の撮影。雑誌に掲載され又、翌年1972年の公演プログラムの表紙でもある。

前述の通り、1970年はシルヴィ・ヴァルタンの人生の重要な節目だった。少なくとも、1970年の大ヒット2作品 ( * ) のジャケットが、(過去の1965年ではなく)1970年初頭や9月復帰後のリアルタイムで撮影された厳選したシルヴィの写真だったなら、1970年のキャリアの進展とその美しき実像は、1965年の「アイドルを探せ」と一線を画して、遥かに強烈に人々の脳裏に刻まれたのではないか。
( * 「あなたのとりこ」(Irresistiblement): フランbr> スで1968年12月に 2位、日本で1971年2月にオリコン総合18位。 「悲しみの兵士」(Les Hommes...) : フランスで1970年2月に2位、日本で1970年11月にオリコン総合11位。)

(1970年2月の交通事故の負傷についても誇張や時期を含めた誤認識や混乱もなかったはず。半世紀経った現在も色褪せない2曲( * )だが、日本のネットに溢れるシルヴィ・ヴァルタンは1964/1965年の固定されたイメージで、その活躍は刹那的な印象。)

しかし、シルヴィ・ヴァルタンは強運の人。1970年初頭に世界中に衝撃を走らせた自動車事故に遭遇した一方でその年はニューヨークに滞在し当時の名黒人ダンサーから斬新なダンスを習得。自ら公演を構想し、彼と瑞々しい音楽(R&B)グループをステージに迎えて同年9月のオランピア劇場公演を成功させる。 ( SYLVISSIMA 1970 (Youtube) - 本作はドキュメンタリー映画とし制作されたが結局TV放映された。) 奇しくも1970年後半、日本では「悲しみの兵士」(LES HOMMES...) と「あなたのとりこ」(IRRESISTIBLEMENT) が連続で大ヒット。
1976年にNHKの番組「世界のワンマンショウ」がシルヴィのフランスのTVショウを放映。1978年「ディスコ・クィーン」を含めて1970年代は多くのヒットに恵まれ、6度も来日し数週間から約1ヶ月間、全国津々浦々を巡演。1978年の3週間余りの興行の際、東京銀座中央通りの街灯に掲げられたフラッグ広告はヒョウ柄のボブ・マッキーを纏ったシルヴィ(1977年パリ公演ライヴ盤の写真)。

2015年にフランスで出版された LE STYLE VARTAN(モード写真集)に地方の駅ホームで列車を待つ素顔のヴァルタン一行の写真が掲載されている。スーツケースなど大荷物が長距離の旅を想像させる。
この時代のハスキーヴォイスで歌う一見して粗削りなロックは、シルヴィの大きな魅力の一つ。シルヴィ・ヴァルタンの日本での根強い人気は精力的に活動した1970年代を盤石にしていると言える。



1980S : 1980年代は、1981年11月からの長期パリ公演の準備で多忙を極める中、3月に東京音楽祭の審査委員とし来日(宿命的な縁か、同席した米国のトニー・スコッティと3年後に再婚)。1983年は記録的パリ・ロングランショウ(11週間ノンストップ)の数か月前に日本公演を数日間行っている。1984年も秋のパリ公演前、4月にプランタン銀座に開設したダンス・スタジオやコカ・コーラ・ライトのTVCM出演とイベントのため来日し、NHK音楽番組にも出演。1987年に「あなたのとりこ」がTVCM(キャノン一眼レフカメラ、EOS 650)に使用されてリバイバル・ヒット。翌1988年に、アメリカで再録したビートの効いたロック調ヴァージョンがシングルCD発売に至る。カメラと言えば、行動的なシルヴィは十代後半から今も一眼レフカメラを愛用。撮影機器好きで撮影は趣味の一つ。

シルヴィは、1985から1989年は新しい家庭と一人息子の大切な成長期を優先して公演活動は一時休止。パリ・ロングランや大規模な巡演を含む見事な活躍後、主にアメリカで暮らしたその5年間は、フランスで大衆の大熱狂を少なからず冷ましたと見える。しかしシルヴィには人生に沿ったプラスの大きな決断だった。シルヴィが20代の時の言葉通りだ:「私は仕事の面でも一流のアーティストになりたいし、それと同じように1人の女性としても豊かな人生を送りたい」。

シルヴィ・ヴァルタンの人物像について、その軌跡を俯瞰した時や複数の側近/マネジャーそしてトニー・スコッティの話を見聞きして心に残る事。それは: シルヴィは鮮明で明確な夢や願望を持っている。聴く耳を持つ一方で意志が強い。自立心がある。健全、公正で情が深い。謙虚。






写真下: シルヴィ・ヴァルタン、1983年パリ公演 ( * 11週ロングラン ) の初日の夜、 マキシム・ド・パリでパーティー。
駐フランス日本国大使がシルヴィと握手。隣の紳士(左)はトニー・スコッティ。( * 1983/9/10 - 11/20 パレ・デ・コングレ・ド・パリ)
(新潮社の写真週刊誌 : FOCUS1983年10月)




写真左:シルヴィ・ヴァルタン (2008年パリ、衣装DIOR)- 2008年4月号クロワッサン・プレミアム(月刊誌)の表紙。写真嫌いと言うシルヴィの貴重な輝く微笑み。友人のヴァレリアンヌ・ジスカールデスタンが隣にいる安堵感と嬉しさと見える。 2008年2月初旬のパリ公演後にクロワッサン・プレミアムの取材に応じている。その中のシルヴィらしい言葉がある: 

「私は誰かに好かれようと選択したことなど、ひとつもない」。

1990 : 1990年9月末、テレビ東京の番組「MUSIC MY LOVE - 音楽マイ・ラブ - 世界のトーク&ミュージック」(1991年1月放映)がシルヴィにパリの邸宅で取材。奇しくも、インタヴューはシルヴィの10月ソフィア初公演の直前に行われた。長いキャリアは不断の努力の成果かとの問いに:

「この仕事は弛まぬ "努力" ではない、好きだから続けている」。 (音楽とは一言で何かとの問いに) PASSION ! (情熱) 」

1992 - 2014 : 1995年は1月末から2月のカジノ・ド・パリ公演が好評だったにも関わらず、6月に主演映画をもって「横浜フランス映画祭」の団長を務めて来日(後述)し、写真週刊誌AERA(No.54/12月4日号)の表紙を飾る。2002年に「あなたのとりこ」が1980年代終盤のリバイバルを遥かに凌ぐ勢いで大ヒット。1990年以降のシルヴィ・ヴァルタン日本公演に関して言えば、それは記憶に刻印された出来事だ。

1992年日本全国公演(6/19-7/2)、1999年6月の東京公演(ライヴハウス)、2005年3月と2008年3月渋谷オーチャードホール公演。それぞれ別な理由で感動した。通常はパリ公演後に来日するが、1999年は秋のパリ・オランピア劇場公演を目前にした不意のライヴハウス初出演で、実に自由闊達なプロフェッショナル、ヴァルタン(ボーイッシュなショートヘアー!)を目の当たりにした。
また、2005年の大熱狂と愉快なシルヴィの力強い日本語「また逢いましょうー!」。そして2008年の衝撃的な閉幕場面 - 女性の観客達が会場の全ての長い通路を埋めて、その公演が最後でもあるかのようにステージのシルヴィへ思いのたけ手を振っていた。それはまさにWAVE、波のような光景。約半世紀もの間、国内外で何倍もの拍手喝采を浴びてきたシルヴィには特別な事ではなかったのかもしれないが。


写真下: 2014年5月9日(金曜日)産経新聞、文化欄 - シルヴィ・ヴァルタンの新作紹介
「シルヴィ・イン・ナッシュヴィル」(2014年4月来日記念)- 「SYLVIE IN NASHVILLE」(2013年アメリカ録音)の日本盤



2013年と2014年のビルボード・ライヴ東京公演は、奥行きのないステージが近距離過ぎて、そのライヴが夢か現か一層わからないほど。結局、シルヴィ・ヴァルタンは大きな空間・従来のコンサート劇場でのパフォーマンスを存分に見たい聴きたい、そういうアーティストだな、私には。実際にそう感じた。また、のんきに又はドキドキしながら飲食して一瞬のステージに沸き突如終演をむかえる状況には、言い知れぬ違和感や割り切れなさを覚えた。悲しくて遣りきれない。ダイナミックなダンサーぶりを発揮しようがしまいが、優美で活力に溢れる多才なシルヴィ・ヴァルタン。長年、彼女のショウを見てきたファンなら思いは同じではないだろうか。
2013年のビルボード出演を知った時、私は驚きと不満を感じる一方でシルヴィを心配した。ところが初日、シルヴィが登場してオープニングが始まった瞬間に思った: 「何と、シルヴィは元気だし全て変わりなく素晴らしいではないか!」。
私にとってシルヴィ・ヴァルタンは、アーティストの本領を満喫したいと思う別次元のプロフェッショナル。

2018 : そして2018年、シルヴィが来日。シルヴィの来日回数は20回を優に超える。大阪公演の前日にNHKの歌番組に生出演。シルヴィ・ヴァルタンは立ち姿そのものの格好良さが際立つ。(司会を務める谷原章介さんが終盤にすかさず、 "ブラーボ!" (BRAVO!) 。印象に残る。) しかし、パフォーマンスはもとよりヴィジュアルの点でも、TV出演と公演はそれぞれ別物。半永久的に一時期のある一曲のみに執着するのはアルバム作品やライヴ盤から曲を抜粋して聴くようなもの。一枚の作品や実際の公演を鑑賞する時、まるで風景を見渡すような充実感や感動の他に音楽の楽しさや面白さなど新しい発見がある。渋谷オーチャードホールの中央前席辺りで、目も耳も心も通常の1000倍も澄ました。そして自分の思いのたけを拍手に込める。

いつも胸のすくような驚きがある。と言うのも、直に見るシルヴィは、遥かに素敵だ。生来の品位やユーモアや可笑しみもシルヴィ独特。歌、楽器の音、目の前の全てが生気・覇気・対比・繊細な美があって眩い。 「愛と同情と」 (※ PAR AMOUR, PAR PITIE/1966) に深く感動した。他方で、シルヴィは一転して目覚ましいリズムで次の 「踊れ、そして歌おう」 (DANSE LA CHANTE LA/1975/1976年アルバム「そよ風のブロンド」収録曲) を歌い出す。息をのむ格好良さ。思わず背筋が伸びる。異次元のヴァルタン。ライヴで再発見する曲がよくあるが、本作がそれ。日本公演は優れている気がする。

「最後の日本公演」と広告で謳われていたが、それを感じる瞬間もなかった。つまりは、シルヴィ・ヴァルタンには、毎回、観客を鼓舞する新しさ、清新の美がある。生来、精神や頭の新陳代謝の次元が違うのかもしれない。一歌手と言うより情熱ある別格のアーティストであると同時にエンターテイナーだ。何物にも代え難い、例え難いその体験そのものの価値の大きさ。観客として得たのは歓喜、新たな力、希望。なぜ「最後」なのか。



幾星霜を経て、凡人の数倍の生命力がありそうな異星人のようなシルヴィ・ヴァルタン。凡人の何層倍もの凝縮した人生を生きるシルヴィだって、久遠の命をもつ生物ではない。しかし、今からシルヴィ・ヴァルタンのステージを再び堪能できない人生とは。 クラシック音楽の世界ではシルヴィより年上のピアニストがやはり60年代から精彩ある演奏をし相変わらず世界中で喝采を浴びている。「最後」の上演や公演は誰が決めるのだろう。

(※ 「愛と同情と」(PAR AMOUR, PAR PITIE/1966年作品)、シルヴィの永遠の一曲。本作はALI SMITH (スコットランドの作家、1962-)の好きな一曲。小説「HOW TO BE BOTH」(2014)の表紙(1963年頃の夏、南仏の町を散歩中の若きシルヴィとフランソワーズ・アルディの写真)について、発売当時と2020年10月に偶然、BBCラジオでアリ・スミスを聞いた。スミスは実際、思春期にフレンチ・ポップスを聴いていたそうで「愛と同情と」がリクエスト曲の一つだった。本の表紙に見る二つの対極するパーソナリティーと(半世紀余り前に)彼女達が発する自由に触れた。

2021 : 2021年はシルヴィ・ヴァルタンにとって様々な節目が重なる年となる。芸歴60周年を迎え、10月に第50作目のオリジナル新譜 MERCI POUR LE REGARD を発売する。シルヴィの人生を映すテキストが多く、一体感がある作品。制作チームは新しいシンガーソングライター達から成る。本作をテーマに、シルヴィが長い間切望していた劇場リサイタル(歌詞が印象深い作品に光をあてた公演)をエドワール七世劇場で、またサル・プレイエルでアコースティック・ライヴを行う。2021年から2022年に過去の作品がLP盤で再発売される。新譜発売前日の9月最終号パリ・マッチ誌の表紙を飾り又、エドワール七世劇場公演の翌日にル・モンド紙が見事な記事を配信。パリ・マッチ誌の記事も結びのシルヴィの言葉が感動的だ:

「この職業で、活動に終止符を打つのは死だけ。私は、それが出来る限り、何かを生み出せると思う限りステージに立つだろう」。

シルヴィ・ヴァルタンは独特な歌手。ブランクのないキャリア60周年は注目に値する。10月から12月に複数のイタリア・ファッション誌が数ページの記事を掲載し、ブルガリアのTV局はパリでのインタヴューを放映。勿論、新譜を紹介している。シルヴィは自身の人生や願望に沿って活動する通り、常に独創的だ。今回はミニマル舞台演出の劇場リサイタルだが、それが今後の公演形態とは限らない。来年、2022年も公演予定。
私生活では、1984年6月に再婚した米国のトニー・スコッティとの東京での宿命的出会い(1981年3月の東京音楽祭)から40周年だ。

* BMG FRANCEシルヴィ・ヴァルタン60周年記念企画 (NEWSのページに記載): シルヴィ・ヴァルタンRCA時代 (1961/1986)アルバム再発売(カラー・ビニールLP盤)。2021年5月に「あなたのアイドル」(1965年日本発売/来日記念盤)を含めた60年代の6作品、9月に日本発売の「サバの女王」など9作品、2022年も続く鮮やかなプロジェクト - シルヴィ・ヴァルタンへのオマージュ。
(俳優志望だったシルヴィだが、1961年に偶然に音楽の世界に入る。母親の猛反対をよそに同年12月にペコーのオランピア劇場公演で初舞台を踏む。)


シルヴィ・ヴァルタンの目くるめくキャリア60年は、感慨深いの一言では足りない。
それは奇跡的に思える。人は変容し人生も不定だ。しかし、シルヴィは、
十代で歌手デビューし、20代前半に2度の自動車事故を
幸運にも生き抜いて、この60年間、果敢に
同じ情熱をもって活動してきた。
アルバム制作に限らず、
コンスタント
に公演をし巡演に出る。
2021年も変わらずTV出演し歌う。
風を背に、人生に沿ってシルヴィらしい生き方を
貫く風だ。唯一無二の声や歌い方に通じるところがある。
異次元のようなアーティストの人生のコアは、シルヴィの高い人間性。
2021年、一番に、シルヴィ・ヴァルタンの待望の新作とパリ公演の、大成功を祈る!




* * *



photo below : Sylvie Vartan (age 20, in a yellow knit sweater of SONIA RYKIEL) , May 1965 during her first JAPAN nationwide concert tour.
photo by Jean-Marie Perier from Expo catalogue SYLVIE VARTAN, REVUE DE MODE - Musee Galliera/16 Oct 2004-27 Feb 2005 (Paris-Musees 2004)


写真左:1965年5月、初来日したシルヴィ・ヴァルタン (20歳)。当時お気に入りのソニア・リキエルのニット姿。(写真家ジャン・マリ・ペリエ撮影、 2004年/2005年パリ・ガリエラ美術館開催「シルヴィ・ヴァルタンとモード展」カタログ Page 103 掲載写真)

シルヴィ・ヴァルタンの2015年 シルヴィ・ヴァルタン初来日から50周年を迎えるこの年、残念ながら、日本でシルヴィに会えなかった。その一方で、2015年4月のシルヴィ・ヴァルタン・パリ・オランピア劇場公演情報を見て改めてシルヴィへの尊敬の念を覚えた。

私は長年 フランスのシルヴィ・ヴァルタン公式サイト - Sylvie Vartan Offical Site - のフォーラムを見ている。でも、その常連(大半が男性)は、本命 (?) のシルヴィ・ヴァルタンに対しては、事あるごとに事細かにより気難しく手厳しく非難めいている。その上に最初から悲観的だったり、"あまのじゃく" や他のスターとの比較好きな人が目立つ。それには閉口する。ネガティブな事には一挙に投稿し、また公演前には投稿が頻繁だが、実際にパリや地方公演が開幕すると、足を運んでいないのか沈黙するのも不可解。(ウェブマスターには感銘を受けるが。)

いずれにせよ、今回はファンの反応は、2日間公演とは思えないその内容や選曲の質の高さに対する驚きと称賛の声が圧倒的。確かに、音楽ファンがYoutubeにアップしたヴィデオでさえ、それが一目瞭然。往年のヒット曲であれ新しいロック・カバーであれ声に張りがあり、繊細な歌を含めて総じて聴きごたえがある。マイクの扱いを含めて小さな動きにもシルヴィ特有の格好良さが多く見られる。
但し、実際に会場に足を運んだ観客にはプロのDVDでさえ実際の見事さを半分も収録しきれていないと不満に思うことがある(例えば、1995年カジノ・ド・パリ公演)。ましてやアマチュアの映像となると、彼らはYoutubeを見て愕然としている。
とにかく、本来のシルヴィらしさが出た2015年パリ・ライヴは、ファン達にとっても夢はまだまだ続くことを確信した意義ある公演だった。

シルヴィ・ヴァルタンはクリエイティブだ。マンネリや凡庸を嫌い、オリジナルなもの新しいもの本物を好む。この2015年オランピア劇場公演では、2月から制作中のナッシュビル録音第3作から数曲披露したほど。

やはり、2015年来日公演、3年連続3度目のビルボードライヴ東京/大阪公演はなかった。シルヴィは明らかに多忙だったが、私はシルヴィ・ヴァルタンらしいと勝手に思って安堵した。 ホール公演でも一日限りのために来日はしないように思う。(私はヴァルタンの熱狂的ファン過ぎるのか、テレビ出演があっても飲食しながら見ることは考えられない。テレビのコンセントを繋げるのは、もはやその時だけだが。)

2015年、シルヴィ・ヴァルタンはアルバム2作を制作。そして、急きょ承諾した初主演のコメディ演劇は大成功を収めた。シルヴィは、自叙伝によると、誕生 (*) した時に手首に十字架か何かの印が浮かんで見えていたそうだが、特別な星の下に生まれたスターなのだと思うことが多い。

( * シルヴィは、1944年8月15日にブルガリアのイスクレッツ(両親がソフィアから疎開していた町の隣町)の産院で誕生。芸術家であった父親はブルガリア出身(フランス/ナンシー生まれ)、母親はハンガリー出身。)




VIVE SYLVIE VARTAN !
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SYLVIE VARTAN IN TOKYO 2005 - TV INTERVIEW
SYLVIE VARTAN 13TH JAPAN CONCERT TOUR - 26/27 MARCH 2005, TOKYO




photos: capture Japanese TV/Sylvie Vartan in Tokyo in 2005.

In March 2005, a couple of years after a phenomenal revival of her successful song IRRESISTIBLEMENT (1968 recording/ late-1970 hit tune in Japan), Sylvie Vartan came on tour to Japan for two performances in Orchard Hall, Tokyo, following grand concerts at Palais des Congres de Paris. Sylvie also did media interviews including TV.

The photos (above, left) are per TV screen capturing. I missed, however, a beautiful microexpression of Sylvie Vartan. I loved the moment when she appeared and greeted us; Sylvie Vartan emitted in first something lovely and spirited in a sweet smile. And there is always something noble as a whole about Sylvie Vartan, a gorgeous star as ever in chic silky black suit. She has long legs and a particularly beautiful posture. Perhaps many her fans notice how she is standing, also from many photographs in her young days and today.

Sylvie Vartan laughed in that husky voice in amusement as the TV camera started filming her silhouette from foot to head (see the photo left) , almost in the same way as the 1965 TVCM for Renown, once she showed up before the camera. Then, Sylvie smiled and said hello to the audiences in French and then Japanese:

Bonjour, Nihon no minasan, konnichiwa, Sylvie Vartan desu.

Her presence in Japan, her making an in-person chic appearance on TV (or radio), her words and her Japanese in person seem worth more than all.












photos: capture Japanese TV - Sylvie Vartan Concert live in Tokyo 2005 (in a feather dress per CHANEL/Karl Lagerfeld).


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"IRRESISTIBLEMENT" REVIVAL IN 2002 - IMMENSE POPULARITY
シルヴィ・ヴァルタン「あなたのとりこ」 2002年リバイバル・ヒット (日本発売:1969年1月、1970年11月)


In 2002, "Irresistiblement," one of eternal classic pop standards of Sylvie Vartan took Japan again by storm for months with the sales peak in April. It is her 1968/1969 major hit in France and Italy; from Nov. 1970 to the early summer 1971 in Japan following another veritable big splash "Les Homme qui n'ont plus rien a perdre"(1970), all-time favorites of Japanese music fans, together with "La Plus Belle" (1965).

Looking back 2002, I heard it everywhere in the streets of Tokyo, at record shops, departmentstores, restaurants, convenience stores etc., which seemed to be burst with vitality. For me, it was a surprise brief moment of joy, breath of fresh air especially on long weekdays, though I listen to her latest songs at home. The husky voice and high notes of her youth in the phrase "irresistiblement" echo. Unspeakably positive and fantastic piece of music as if we were being taken into another dimension.

A movie about one summer of high-school students and TVCM triggered the popularity of this song. A very timely compilation consisted of several worldwide artists' hit tunes including "Irresistiblement" as well as two compilation albums of Vartan (released 1998/2002) became veritable huge commercial success with an enormous popularity of "Irresistiblement" regardless of age. At that time, unfortunately, from what I often saw on the Internet, many new fans including adolescents of "Irresistiblement" who had no idea who sings it and even in what language were confused about what and which album to get after "Irresistiblement."



Japanese single record "Irresistiblement" of Sylvie Vartan, released in Nov.1970 (with jacket photo: Sylvie in 1965).

1968 original recording of "Irresistiblement" has incomparable freshness of sound, with tambourine and Sylvie Vartan's spontaneous unconstrained husky voice with a bit of melancholy tone, and the remarkable prolonged high notes (in the phrase "irresistiblement" ). Refreshing feeling of sound and voice of Sylvie (24) is the quality of this stirring piece. It works like magic bringing energy and impetus and all that to many of us.

In 2002, "Best of Sylvie Vartan (1998)" entered the album charts (overall rank) of Japan's famous ORICON charts eleven weeks and at the highest rank No.19, as far as I know. (In Feb. 1971, the single went to No.18 in the Top Music of ORICON.) (Oricon: Japanese established sales research firm)






photo:article published in Japanese major daily newspaper ASAHI 10/05/2002 on popularity of Sylvie Vartan and success of the album. Brief translation : -

"The Best of Sylvie Vartan" (released Nov. 1998, BMG Japan) being currently ranked high in the ORICON (*) music charts. The disk includes the "Irresistiblement," a kind of music in which sophistication and bustle coexist with remarkable sound of tambourine and all that. Apparently people find it fresh and new.
New disk "Irresistiblement Sylvie Vartan Best Collection"with more numbers is coming out end of May 2002."

( * ORICON music charts: Japanese established research firm ORICON Inc. offer since 1968, ranking all the best performing singles/albums.)










"The Best of Sylvie Vartan" (20 hit songs) - CD released 21/11/1998 (BMG Japan)
with cover photo of Sylvie Vartan wearing her iconic blue hat in Aug 1965, just before her birthday of 21 years old.




photos below (capture of my PC scree of HMV web site):HMV World music bestseller charts in 2002.
26/06/2002 - Shakira leads , 17/04/2002 - Sylvie in the lead in April.


Japanese radio programes continue to put on air "Irresistiblement" (Sylvie Vartan's 1968 original recording), one of classic pop standards, especially since then in regular rotation, for good or bad. It's an evidence for the popularity of this piece among young people, that is, beyond generations (from young teenager to about the same generatoin as the artist) in a timeless way. It seems that original recording of both "La Plus Belle Pour Aller Dancer" and "Irresistiblement" never lack in freshness and touch all ages.
In fact, two compilations "Best of Sylvie Vartan" came out in 2002 are longtime bestsellers and continue to often rank very well in Pop music as well as World music best sellers Top 100 of Amazon Japan as of Nov. 2021; it will continue forever.

Photos below: the two longtime bestsellers of Sylvie Vartan released 05/2002 (left below) white-themed simply fresh and sophisticated design accented with the shape of a heart using an old photo of Sylvie (17) and 10/2002 (right below) at a more reasonable price for Vartan's CD, with a photo of Sylvie (age 19/around 1963), angel of a girl.




"Irresistiblement Sylvie Vartan Best Collection" (22/05/2002, BMG Japan)



"Sylvie Vartan Les annees RCA" (2004 Japanese version) - 日本盤: "シルヴィ・バルタン RCAイヤーズ 1961/1983"



"Irresistiblement/60s BEST" (left) , "Caro Mozart/70s BEST" (right)
(25/11/2009, RCA Sony Music Japan)

"Irresistiblement-60s" (26 songs): あなたのとりこ Irresistiblement, 恋のプロフィール Il y a deux filles en moi
二つの手 Deux mains, 男の子のように Comme un garcon
愛のフーガ Ballade pour une fugue, アブラカダブラ Abracadabra
悲しみの兵士 Les hommes qui n'ont plus rien a perdre ... etc.

"Caro Mozart-70s" (24 songs) : 哀しみのシンフォニー Caro Mozart, 恋人時代 Koibitojidai
モン・ペール Mon pere, わたしのすべて J'ai deux pieds, une bouche et puis un nez
恋はみずいろ Love is blue (L'amour est bleu), ディスコクイーン Disco queen
アメリカンナイト I don't want the night to end ... etc.






"Irresistiblement" - CD single, 1988
1. Irresistiblment / 2. La Plus Belle (Produced by Richie Wise) (Scotti Brothers Records, Inc. / Pony Canyon Inc., Japan)

photo above: CD outside / inside

Long before 2002, in 1987, Irresistiblement was used for a TVCM for CANON's SLR/AF 35mm-format camera EOS 650
(on sale in March 1987) and became popular, which lead to this retake of her classic songs for a CD single.
Sylvie Vartan with a kind of American provocative look, photographed in 1985 by Michael Childers.
Irresistiblement with a big-beat; La Plus Belle with a kind of perfection and monotony, to my eyes.


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"ICE LADY" - SYLVIE VARTAN
- PIERRE ET GILLES EXHIBITION TOKYO 1995

ピエール&ジル展「夢の形象」- 資生堂ザ・ギンザアートスペース 1995

Exhibition of Pierre et Gilles - new art works featuring their favorite Pop Stars such as Sylvie Vartan, Brigitte Bardot etc.
Two pieces of 1994 with Sylvie Vartan shown: "Ice Lady"("La Dame en Rouge")(赤いドレスの女), "Nuit et Neige"(夜と雪).
"Ice Lady" in a fabulous clear plastic frame, the best displayed piece in the gallery, was priced one million yen. I wish I could get it !
I went to see it the first day, almost right after the 3eme Festival du Film Francais Yokohama (15 June to 18 June 1995).


Place:  The Ginza Art Space (produced by Shiseido), Ginza Tokyo
Dates:  20/6/1995 - 30/7/1995

photo: "Ice Lady" ("La dame en rouge")


photo: View from the gallery entrance.

















photos : Exhibition brochure (left), DM/post card (right)


photo : Brochure inside (with two post cards on it).


photo below: articles on the event published in magazines:
"Ice Lady"/ "La Dame en Rouge" (Sylvie Vartan 1994)



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"L'ANGE NOIR" SYLVIE VARTAN 1995
- 3eme FESTIVAL DU FILM FRANCAIS YOKOHAMA 1995

シルヴィ・ヴァルタン主演映画 "L'ANGE NOIR" - 第3回フランス映画祭 横浜1995


poster of the film L'ANGE NOIR, Sylvie Vartan (dress by Gianfranco Ferre/Christian Dior)



actress, Jean-Claude Brisseau and Sylvie Vartan.




Sylvie Vartan came to Japan in Jun 1995 (after her concert at Casino de Paris in Feb.) to present her first movie "L'Ange Noir" (Black angel) in the 3eme Festival du Film Francais Yokohama, heading the french delegation.

Event site: Pacifico Yokohama - Conference Center's main hall of 1004 seats
  (A short 30-miniute train ride from Tokyo)
Dates: 15/6/1995 - 18/6/1995

Mystery film starring Sylvie Vartan, who is far from dirty or unfaithful image, it seemed to have caused a bit of a stir. "L'Ange Noir", the closing movie of the festival, shown on 18 Jun at 19:00.






















photo below: Programme of the 3rd Festival du Film Francais Yokohama 1995







Sylvie Vartan, fresh and perfect beauty dressed all in chic white, and film director Jean-Claude Brisseau made a speech and had a question-and-answer session before showing the movie. Finally, after the film, there was another event, autograph session outside the huge hall.

Here are autographs of Sylvie Vartan, Tony Scotti, Jean-Claude Brisseau that I obtained in the programme , after standing in long queues with my heart pounding, on 18 June 1995 : -











photo below: Article publishe in the Japanese major daily newspaper ASAHI 14/6/1995.


photo below:Ad.(13x17cm) for AERA (daily newspaper ASAHI's popular photography weekly magazine) in the newspaper ASAHI 27/11/1995.
We saw the larger color ad. so many on the train/subways in Tokyo that I even kept a few of them!



photo below: Sylvie Vartan in Japan/AERA (daily newspaper ASAHI's weekly magazine) 04/12/1995 Sylvie covered.






June 1995 Interview of Sylvie Vartan in Japan
(1995年6月「横浜フランス映画祭」: シルヴィ・ヴァルタンのインタヴュー)



* * *


1993-1995 OF SYLVIE VARTAN IN FRANCE
1995年 6月の来日について、個人的には 「映画祭」 より本業の歌、日本公演を遥かに心待ちにしていた。というのも、パリでは1月から2月初旬にかけてシルヴィ・ヴァルタン公演があったからだ。

1995年カジノ・ド・パリ公演/ SYLVIE VARTAN AU CASINO DE PARIS は私がパリで見た唯一のシルヴィの公演(アコースティック・コンサート)。3度鑑賞したが、一度少々遅れて到着し会場正面のドアを押し開けると、そこには(最後列の後ろ)ステージを凝視するその眼に星が輝いていた立ち見客の男性達、そして前方両サイドの壁際には若者達が陣取っていた。要するに定員を超えた観客で埋め尽くされた混沌とした本場の会場は、整然とした日本の場合とは程遠く、空中に熱気や熱狂が充満して煙るような別世界だった。
彼ら彼女らが一際目立つ好奇心と期待感で一心に見つめるのは、ステージ上で所狭しと堂々とそして優美に大きなステップを踏みながら歌う異星人のような完璧なシルエットの美しきヴァルタン(衣装はディオールの黒のタキシード)。床を踏みしめて弾むシルヴィ・ヴァルタン独特のステップだ。第一部の終盤、(タキシードジャケットの中に着ていた)ジャンプスーツで演じるロック(本コンサート限定の新曲)の超越した格好良さに目が釘付け。麗しきパフォーマー、ヴァルタンが与える圧倒的な印象は深く心に刻まれている。異次元のパリ公演。

本ライヴは新作 "セッション・アコースティック" をテーマに開催したカジノ・ド・パリ初公演。1993年6月パルク・デ・プランス競技場(J.アリディ公演)で歌ったア・カペラ、"テンダー・イヤーズ"(カバー曲)が好評を得たことを契機に制作に至った出色のセルフカバー・アルバム。往年の傑出したミュージシャンやコーラスを結集して比較的短期で録音。シルヴィの声にその熱意や幸福感が溢れる。風薫る5月を感じる永遠の一枚。

1993年から1995年は映画主演もヒット曲もレコード制作もコンサートもあった充実した時期。生来の整った顔立ちに加えて1960年代を彷彿させるスウィートな表情が多い一際眩い時代。ディオール(ジャンフランコ・フェッレ)の深紅の刺繍入りベルベットドレスや黒の衣装、そしてトニー・スコッティとの再婚10周年パーティーの際のオーガンジーがアクセントの白いミニドレスは、シルヴィ・ヴァルタンの清新の美と麗しさそのものに見えた。セミロングの髪型(写真左)に黒の衣装で「テンダー・イヤーズ」を歌うシルヴィは、どのTV出演でも見入るほど艶やかで、クローズアップで映し出されるその顔は感動的な美しさ。鮮やかに記憶に残る薔薇色の見事なシルヴィ・ヴァルタン。


写真左: シルヴィ・ヴァルタン、1993年大晦日のフランスTV出演。アコースティック・ギター伴奏で "テンダー・イヤーズ" を披露。 ベルベットの細身のパンタロン(バーガンディ色)、丈の長いタキシードジャケット、踵の高い黒のショートブーツ姿が比類なく格好良かった。






左上: 「ヴァルタン・セッションアコースティック」(日本盤)(1994/15曲)
右上: 「シルヴィ・ヴァルタン」(1995/18曲) - 前作「セッションアコースティック」の 編集盤(カバー1曲とオリジナル新譜2曲を追加)


収録曲: 1. Quelqu'un qui m'ressemble (1995新曲) / 2. 悲しき慕情 / 3.おセンチな17才 / 4. スループ・ジョンB. / 5. アイドルを探せ / 6. 悲しき雨音 / 7. 愛のきずな / 8. 恋のとりこ / 9. 愛とあわれみ / 10. 裏切らないわ / 11. オー・プリティ・ウーマン / 12. 太陽に向かって / 13. カミン・ホーム・ベイビー / 14. 想い出のマリッツァ / 15. 愛と同情と / 16. テンダー・イアーズ(1993年6月パリ・ライヴ音源) / 17. La vie d'artiste (レオ・フェレのカバー) / 18. Le Premier De Nous Deux (1995新曲)

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SYLVIE VARTAN JAPAN TOUR - THE 1970S (1970-1978)
- Most active era with hits and 6 tours creating fame and robust popularity in Japan.


SYLVIE VARTAN (33) 7TH JAPAN CONCERT TOUR 1978
25 MAY - 17 JUN 1978


Sylvie Vartan Palais des Congres 1977, Japanese version released in 1978 to mark the Japan tour. (photograph par Helmut Newton/1920-2004)

Two photos below from Japanese major newspaper YOMIURI's articles of June 1978: -
above: Column STAGE/a critique about live in Osaka, bottom: Column MUSIC/about the album live in Paris 1977 - Spectacle of the Fairy of Paris like looking through a kaleidoscope.

Critique of the concert in Osaka on 30 May 1978 at Osaka Koseinenkin-kaikan:
Very poor quality of PA (public address) was to the point of losing enthusiasm for listening. Apart from the audio image, the Sylvie Vartan Show where Sylvie performs with talented dancers was worth looking at. The medley including La Plus Belle was most applauded by the audience, yet L'amour Comme Les Bateaux and Don't Leave Me (*), which she could make it this far because of mature age, deserved far more applause.

( * Don't Leave Me This Way: the recording of an American singer Thelma Houston (1946-) in 1976 - Grammy award for best female R&B vocal performance - from her album Any Way You Like It on the Motown label.)

The article speaks of the concert ad with Sylvie in the superb leopard print Bob Mackie in the streets of Osaka. It was the case in Tokyo too; I remember the small rectangular banners set up on the tall lampposts along the Ginza avenue, fanciest commercial district of Tokyo.


Myself, I went to the concert at Shinjuku-Koseinenkin-kaikan, Tokyo, where Johnny Hallyday was with a Japanese couple of celebrities, one is a musicien/singer and the other one of the most successful lyricists of the time who wrote Japanese words of La Maritza of Sylvie Vartan. Three of them sit in the center seats of the very front row. I believe my sister and myself were also at the front since we pulled our foot in so that J.Hallyday in jeans and jacket walked through to his place. His visage seemed to look a bit scary. On the other hand, he beamed at Sylvie once she gave him a warm smile from the stage while singing Le Temps Du Swing (House Of Swing) (the scene like the photo below).

Sylvie immersed us in Dancing Star, the most remarkable scene that Sylvie and dancers all in white costumes performed dynamically tirelessly as if fairy and butterflies. Sylvie Vartan having life and displaying a beautiful expression - a natural beauty of Vartan - in every single moment, which we marveled at.








photo (video capture): Sylvie Vartan Palais des Congres de Paris.
Sylvie in the middle performing Le Temps Du Swing (House Of Swing)
Longrun grand concert : 7 Oct-9 Nov 1977, 20 Mar- 2 Apr 1978

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* * *


SYLVIE VARTAN (32) 6TH JAPAN CONCERT TOUR 1977
7 FEB - 28 FEB 1977


Qu'est-ce qui fait pleurer les brondes? - Palais Des Congres 1975 (Oct 1975/release 1976) - La Maritza/La drole de fin (Single, release to mark the tour.)


photos below: left/concert program 1977 (with Sylvie in YSL at L'Olympia Pairs 1972), which contains interesting messages from persons concerned including the publicity dept official of the apparel RENOWN, right/from a Japanese album: Sylvie in a white dress by Michel Fresnay that she weared in the Japan tour.



Following a great success of the 1st spectacle at Palais Des Congres de Paris (4 Oct/4 Nov 1975, additional: 20/29 Feb 1976) , Sylvie Vartan eventually came on tour to Japan for twenty (20) concerts: Tokyo (6). Kyoto (2), Osaka (2), Nagoya (2), Hiroshima, Matsuyama, Kanazawa, Niigata, Chiba, Akita, Aomori and also in Okinawa Island, Japan's southernmost prefecture located far south of Kyushu Island.

I saw the concert in Tokyo, maybe in Shinjuku. The image of Sylvie Vartan in the white dress with large pelerine flying away in the air as she came on stage from the side often comes up in mind. Because her profile with an irresistibly beautiful smile and her special liveliness in that dress was a forever fascination as a whole.


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SYLVIE VARTAN (30) 5TH JAPAN CONCERT TOUR 1974
1 OCT - 23 OCT 1974




Album 1974 of Sylvie Vartan "L'AMOUR AU DIAPASON" released to mark the Japan tour.

Sylvie Vartan took up an intense Japan tour from 1 Oct. to 23 Oct. 1974. 20 concerts in 17 cities across the Japanese archipelago, from Hokkaido to Kyushu:
Tokyo (4), Osaka (2), Fukuoka (Kyushu), Kyoto, Kobe, Tokushima (Shikoku), Nagoya, Gifu, Toyama, Wakayama, Hamamatsu, Shizuoka, Chiba, Niigata, Kitami (Hokkaido), Sapporo (Hokkaido). The concert program says of her anecdote that Sylvie was repeatedly singing Non Je Ne Suis Plus La Meme (her original song of 1973) in the rehearsal and that she told she often sings this tune even at home in France.)
"LA REINE DE SABA," another album of Sylvie Vartan, which Sylvie exclusively recorded in responding to RCA Japan poposal, was put on the market soon after this Japan tour.


above/below left: The concert program/ below right: the flyer (constume : Yves Saint Laurent)





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SYLVIE VARTAN (29) 4TH JAPAN CONCERT TOUR 1973
2 OCT - 14 OCT 1973

Hit tune at that time : "Non Je ne suis plus la meme"



Albums: left/ "Non je ne suis plus la meme" released to mark Sylvie Vartan Japan Tour 1973. (photo: Sylvie Vartan early 1968)
right/ "Sylvie Vartan Live in Japan 1973" - Sylvie Vartan in Yves Saint Laurent.


photos right/below : Sylvie Vartan arrives at Tokyo Haneda Airport in end-Sept. 1973, wearing a pencil stripe blouse (YSL) / photos bottom : Sylvie in Japan concert tour 1973 (constume : Yves Saint Laurent)
The fabulous lame jumpsuit that YSL did to correspond with the hight point of L'Olympia Paris 1972where she danced to "SHAFT."

Sylvie was also in Japan the previous year 1972 (before L'Olympia Paris in September) for a longer nation-wide concert tour from May 9 to May 29, always in an amazingly tight schedule.

A warm anecdote about Sylvie on arrival at Tokyo Haneda Airport. These photos taken by Mr. Y.Nagamine, a fan of Sylvie (who offered them to me around 1996). That is, he took with him 5 autograph cards (signature boards) to the airport. (Those boards were also for his friends who were as passionate about Sylvie as he was.) When asked, lovely Sylvie said something (in English or French) and then gave autograph on all of them for him, even after her long trip from Europe !! Indeed "Irresistiblement" Sylvie !!



Sylvie Vartan's costumes by YSL. His dessins in the museum in Paris: Musee Yves Saint-Laurent Paris.









Superb large latest photos in the concert program of Sylvie Vartan Japan Tour 1973.


The flyer (two-sided) for concerts in Kyoto and Kobe of Sylvie Vartan Japan Tour 1973.



Double album 1973 "SYLVIE VARTAN Anthology"/RCA Victor Japan
to mark Vartan's Japan Tour and 10th anniversary of her debut in Japan. (photo left/right: Sylvie Vartan early 1968/1965)




9 Oct 1973 interview article (Japanese major newpaper Yomiuri, evening edition) - 4th Japan tour of Sylvie Vartan -Interviewed in Nagoya.











































9 Oct 1973 interview article (Japanese major newpaper Mainichi, evening edition) - 4th Japan tour of Sylvie Vartan; her career spans 10 years.































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SYLVIE VARTAN (27) 3ND JAPAN CONCERT TOUR 1972
9 MAY - 29 MAY 1972

Hit tune at that time : "Caro Mozart"



Album: "Caro Mozart" released to mark Sylvie Vartan Japan Tour 1972.




photos above: Sylvie Vartan 1972 Japan concert tour program




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SYLVIE VARTAN (26) 2ND JAPAN CONCERT TOUR 1971
8 MAY - 26 MAY 1971

Her 2nd Japan tour May 1971 since May 1965, after long absence, yet soon after consecutive huge successes in Japan :
"Les Hommes qui n'ont plus rien a perdre" and "Irresistiblement." Sylvie also presented "Me And Bobby McGee" (Janis Joplin 01/1943-10/1970).



photo: Live album SYLVIE A TOKYO 1971: left/LP 1971, right/CD re-edition 2012:"Sylvie A Tokyo 1971" - Sylvie Vartan in Yves Saint Laurent.







photos above/left : Sylvie Vartan (26) just arrived in Tokyo, at Haneda International Airport (central Tokyo) on 7 May 1971, after a long interval of six years. Iconic look of smiley Sylvie Vartan in her favorite white ruffled-collar blouse, with Carlos (her ex-secretary and friend).

Photo above/ from the programe of Sylvie Vartan 14th Japan concert tour 2008, on which autographs of Sylvie Vartan and Tony Scotti, which I got after the show at Bunkamura Orchard Hall, Shibuya TOKYO 30/03/2008.
Photo left/ Sylvie Vartan during a press conference at the Haneda Airport in an article of a Japanese magazine: Bonjour. Smile after six years' absence.

In the 2nd Japan tour, Sylvie Vartan sang Me and Bobby McGee, a number from the ultimate album "PEARL" of Joplin, who passed away in October 1970, just about six months before this live. Sylvie Vartan and Janis Joplin both have a husky voice, though the tone of voice is very different, still this type of music belongs to Sylvie Vartan. I dream to see Sylvie sing it in the future Live.
Boy, it's been more than 45 years since then and Sylvie Vartan always sings and goes on the road. That's something exceptional.











"SYLVIE A TOKYO 1971 " - JAPAN TOUR IN MAY 1971 (Audio from the CD LIVE)
"Me and Bobby McGee" (of Janis Joplin 01/1943-10/1970)



photo left: "Pearl" - last album of Janis Joplin (1943-1970) released in Jan.1971 in America.

シルヴィ・ヴァルタン(26歳)は、1971年5月初旬に約一ヶ月間にわたる日本全国公演ツアーのため2度目の来日。前年1970年はシルヴィ・ヴァルタンにとり2月の自動車事故遭遇に始まった波乱の年であった一方、静養を含めた長期ニューヨーク滞在でその不運をライヴ・ステージを本領とするアーティストとして飛躍する絶好の機会とした記念すべき年。折しも日本では「悲しみの兵士」「あなたのとりこ」が長期間連続ヒット。強運のシルヴィ・ヴァルタン。6年ぶり待望の来日公演は初来日と同じ日、5月8日からスタート。
シルヴィ・ヴァルタンはこの1971年5月日本公演で ジャニス・ジョプリン (1943/1970) の「ミー・アンド・ボブ・マギー」を歌う。本作は、シルヴィが前年1970年9月オランピア劇場公演を成功させた翌10月、27歳で逝ったジョプリン最後の録音アルバム(写真左: 1971年1月発売)「パール」収録曲。(上記ヴィデオ音源は、シルヴィ・ヴァルタン1971年5月日本公演ライブ盤から)










Magazine article: left/ Sylvie Vartan sings in dress by YSL, right below/ At the concert venue in Tokyo with fans.

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SYLVIE VARTAN SWEPT JAPAN IN 1965
- THE PHENOMENAL FIRST JAPAN TOUR: 8-20 MAY 1965


photo below from: French photobook
"SYLVIE VARTAN DANS LA LUMIERE" - 2007/XO Editions.
- Sylvie Vartan (20) with Eddie Vartan (27), her brother and musician/director of the orchestra, at the press conference, Tokyo Haneda Airport, evening of 7 May 1965.

With success of the song La Plus Belle pour aller danser (1.2 mil sales, Nov.1964 release in Japan), Sylvie Vartan, who is suntanned from spending vacances, showed up at Tokyo Haneda Airport (in Tokyo metropolitan area), where around 1000 fans awaited, on the evening of 7 May 1965 for her 1st Japan concert tour (a part of her worldwide tour) accompanied by Eddie Vartan. About a year before The Beatles (29 Jun 1966, for 3-day/5-concert 1st/last Japan tour).
The troup of Vartan arrived in Japan by French airplane landing at the international airport at 7:20 PM on 7 May, the previous evening of the tour. They departed on 21 May, right after the tour. (Source: ASAHI Shimbun morning edition of 8 May 1965.)
It's an amazingly hectic itinerary of the 1965, when Sylvie Vartan gained prominence on the global music scene. She headed off from Tokyo to North America including Argentina (Buenos Aires), where Sylvie also received the grand welcome. In Japan, she had a full schedule with various works, in addition to concerts throughout the nation: principal TV music programs, TVCM (one of Japanese legendary TV pubs for a major apparel, in which she sang in Japanese), interviews of magazines, other events related to the mode Vartan. She also enjoyed a little sightseeing in between.


"FAIRLYLIKE CHARM" - "SYLVIE VARTAN SINGS, DANCES"
photo below : 13 MAY 1965 ARTICLE OF ASAHI SHIMBUN, Japanese major newspaper on Sylvie Vartan in Tokyo 11 May 1965: WE WERE THERE.

写真 : 1965年5月13日付け朝日新聞夕刊の記事
シルヴィ・ヴァルタン東京公演: シルビー・バルタンを聞く - "よう精(妖精)にも似た魅力"
- ため息のようなフィーリング - 踊りながら歌うシルビー・バルタン (1965年5月11日、東京サンケイホール公演)



SYLVIE VARTAN "FAIRYLIKE CHARM"

Sylvie Vartan, in a white suit jacket and pants, jumps out to the stage and sings and dances with accentuated, distinctive move. Sylvie Vartan Concert (of 11 May 1965 at Sankei Hall, Tokyo) is indeed that of rising "Idol" with overwhelming energy. Audience largely composed of high-school students, who get so excited with her sensational performance that they react with whistles and shouts.
No wonder that in Osaka Festival Hall (the previous day), many fanatics rushed to the stage in the middle of a song and then the concert ended up drawing down the curtain. It is true that she has such an aura and such graceful movements that trigger audience’s feverish excitement.
Eddie Vartan Orchestra (7 musicians), a rock-influenced but colorless band, performs the first part, and the second, Sylvie Vartan, who is much more than a mere singer. She is an energetic performer thoroughly leading the band and acting on the stage. Sylvie Vartan has a singular feature of being at the same time clean, pure and decadant, which is a special fascination like a rock-influenced modern "fairy."
Sylvie Vartan sang fourteen songs at once. Her most impressive interpretation was, as expected, "La plus belle pour aller danser," which has a particular feel to it and something special like sigh to it.


(That's my direct translation of the concert review of ASAHI 0f 13/05/1965.)

(Sylvie Vartan was at this music hall in Tokyo, Sankei Hall four times: on 9 (two performances), 11, 18 May 1965).


* * *


photo : Sylvie Vartan in Tokyo 1965 from the 27.08.2005 ASAHI Shimbun (major daily newspaper), article about one of Japan's legendary TV pubs since 1960s called RENOWN Wansaka-musume.

Sylvie performed it at the time of her 1st Japan tour singing its Japanese fun song with an especially fresh and original tune and novel lyrics using American words: Driveway, Poolside, Tennis court, Ropeway (gondola of ski slope). It continued six (6) years with several Japanese singers as well, but in the end, the period 1965-1966 per Sylvie Vartan was the peak. (Renown, a Japanese famous apparel at the time.)

写真右: シルヴィ・ヴァルタン/1965年5月サンケイホールで(2005年8月27日付け朝日新聞記事:CMソング/レナウンの60年代TVCMソング「ワンサカ娘」に関する写真入り記事から)









"RENOWN WANSAKA MUSUME" - TV PUB. FILMED IN MAY 1965
- SYLVIE VARTAN (20) SINGS IN JAPANESE



Sylvie Vartan (20) in one of Japan's most popular TV pubs ever and the 1st successful one for RENOWN, a majour Japanese apparel at that time. "Tightly-fitted" knit top, it was her preference, said the PR of RENOWN recalling the fitting of their knit summer top. (source: * 1977 Japan tour program of Vartan, shown below.) Filmed during her first visit in Japan for a nation-wide concert tour from 8 May to 20 May 1965. It's said that in those days her fans were crazy about watching Sylvie Vartan move, like this, like a dream.
Today, after more than half a century, Sylvie Vartan always steals hearts of many Japanese people beyond generations, who find this Sylvie singing to the joyful tune in Japanese irresistible. Her looks, look, innate spontaneousnesse, grace and all are loved forever and ever. Indeed, timeless natural beauty, Sylvie Vartan pretty and much-loved star reveals so much charm.
With the TV camera filming and staring over Sylvie (hight 168cm) - feminine, elegant, spontaneous, sunny - from head to toe, Sylvie being herself and simple looks away with a short smile, even with a moment fed-up eye!
Amazing performance of Wansaka-musume by Sylvie Vartan, in spite of a full agenda in Japan. Irresistiblement, just like her enduring iconic song (of 1968)!




It's included in : DVD LIVE 2004 : Japanese version of "SYLVIE VARTAN AU PALAIS DES CONGRES DE PARIS 2004"
CD LIVE 1971 (reedition 2013/THE ULTIMATE COLLECTION-CD41) : "SYLVIE A TOKYO 1971"


RENOWN WANSAKA-MUSUME
TVCM song created in 1961 using English words (driveway, poolside etc), which was quite novelity at that time.
"Wansaka" (a slang word), you get very many (flood of) and "musume," girl(s) in English.
Amusing lyrics (repeating wansaka) and tune telling flock of girls wearing RENOWN clothes are everywhere year-round.
Here's my direct rough translation just to get an idea of this joyful song. Is it singable? : -

Come SPRING, on the driveway (highway/motorway) / Yeh yeh yeh yeh yeh yeh / yeh yeh yeh yeh
Come SUMMER, at the poolside / Yeh yeh yeh yeh yeh yeh yeh (C'est bien !)

Renown Renown Renown Renown girls / fancy and chic Renown girls
wansaka wansaka wansaka ... / Yeh yeh yeh yeh
Come AUTUMN, on the tennis court / Yeh yeh yeh yeh yeh / yeh yeh yeh yeh
Come WINTER, in the ropeway (gondola of ski slope) / Yeh yeh yeh yeh yeh yeh / (C'est bien!)
Renown Renown Renown Renown girls / fancy and chic Renown girls
wansaka wansaka wansaka... / Yeh yeh yeh yeh




* An anecdote about the costume fitting for the phenomenal TVCM with Sylvie Vartan (20) in May 1965. (told by the PR of RENOWN in Sylvie Vartan 1977 Japan tour program).

On the preivous everning of the filming day, he visited Sylvie Vartan in her hotel in Tokyo with several pieces of RENOWN summer knit top. To his surprise, Sylvie threw out onto the chair every one of them once she had each of them in her hands saying : it's too large !, too large !
Actually, he had rather thought the Japanese size at that time might not be perfect for Sylvie, who is slender still tall (168 cm). Later, he found that slim fit clothing was her favorite.

The CM recording in the next morning and the shooting in the afternoon went all smoothly and well. As a result, it made quite a splash with audiences nationwide because of her fairy like beauty being sexy and chic and cool, slim silhouette, waiving blond hair, dynamic movement etc. It turned out the greatest success of this series of TVCM called RENOWN Wansaka-musume.











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Sylvie Vartan in Japan's leading TV musical programs:

photo below left : 22 May 1965 ASAHI newspaper
Today's TV programs : Sylvie Vartan on a NHK TV program - Saturday 10:10-10:40PM.
(filmed during her stay in Japan, 7 May-21 May 1965).

photo below right : 17 May 1965 ASAHI newspaper
Today's TV programs : Sylvie Vartan on a FUJI TV program - Monday 9:00-9:30PM.
(filmed during her stay in Japan, 7 May-21 May 1965).
Sylvie Vartan and Eddie Vartan Orchestra were invited to a very popular music program
and she sang four songs including "La plus belle pour aller danser" and "La vie sans toi."











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SYLVIE VARTAN IN NEWSPAPER PUB FOR: THE LOOK SYLVIE
- 22.05.1965 ASAHI Shimbun (major news paper) Saturday evening edition.
A half-page daily newspaper advertisement of SEIBU Departmet store where clothes of Look Sylvie were sold. Sylvie Vartan visited there during her stay in Japan.

Latest look of brand "VIVE 20 ANS" - Please call it "LOOK SYLVIE" !

西武百貨店の広告: "来日中のシルビー・バルタンが喝采を惜しまなかったおしゃれ - シルビー・ルックの 20才ばんざい - ヴィヴ・ヴァンタン最新作をお届けします。"



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photo above left: Single record "LA PLUS BELLE POUR ALLER DANSER," Japanese verson released Nov. 1964 - Sylvie Vartan in her iconic SONIA RYKIEL. It specifies as "Original soudtrack featured in the film CHERCHEZ L'IDOLE" (1964). That's where comes from the Japanese song title (Cherchez L'idole), which was a part of marketing strategy of RCA Japan.)/ right: Japanese original album 1965, "YOUR IDOL" of Sylvie Vartan released before her 1st Japan Tour to mark the event. (photo of the jacket: Sylvie Vartan, perhaps 1963 , between 18 and 19 years old.)

写真上/左から: "アイドルを探せ" シングルレコード(1964年11月発売)、 "あなたのアイドル 〜 シルヴィ・バルタン" - シルヴィ・バルタン来日記念盤(1965年LP)



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photo : 15 NOV 1964 (Sunday) ARTICLE of ASAHI Shimbun, Japanese major newspaper: Sylvie Vartan of the "La plus belle pour aller danser (Cherchez L'Idole)" -
"HOTTEST TOP STAR SINGER IN PARIS"

It's an article of the major daily newspaper ASAHI published in the previous year of Sylvie Vartan's first visit in Japan. The first line shows her personal data including her weight, measurements, color of hair and eyes!
It reports the popularity in France of 19-year-old rising star Sylvie Vartan. She represents the emerging Rock-influenced new style of music, which is rapidly replacing the French traditional music "Chanson."
It also says Sylvie is in her sencond movie "PATATE" performing with Jean Marais and that she signed three movie deals with a Hollywood-based production.


写真左:1964年11月15日付け朝日新聞記事 - 「アイドルを探せ」 のシルヴィ・ヴァルタン - パリ最高の人気歌手 : ":身長168センチ、体重50キロ、....ブロンドの髪にクリ色のヒトミ(瞳)、外国語はブルガリア語、英語、スペイン語ができる。


















photo right : 30 APR 1964 ARTICLE of YOMIURI Shimbun (one of Japanese 3 major newspapers) - New Albums Coming in MAY: -

"SYLVIE" of Sylvie Vartan and "She Loves You" of The Beatles, to name good albums of young artists. "Sutekina VARTAN," (Japanese version of the french album "SYLVIE," which you get "Cracking/fantastic VARTAN.")

Sylvie Vartan - a 19-year old rising star in France, born in Bulgaria - sings with a punchy voice. This "sutekina," (cracking in english) beautiful and pretty singer has a lot of pure and innocent sexuality; the type of singer we never find anywhere in Japan.


("SYLVIE" : First album of Sylvie (18) published in Nov. 1962 in France includes "Le Locomotion, " "Tous Mes Copains" etc.)


1964年4月30日付 読売新聞夕刊の記事 - 新譜コーナーで、シルヴィ・ヴァルタンとビートルズのアルバムを取り上げている。シルヴィの出身地、年齢、パンチのきいた歌声に触れたうえで、「この素敵な美人歌手の歌には清純な色気というものがあふれている。日本にはどこをさがしたってお目にかかれないタイプの歌手」。朝日新聞の1965年の来日公演批評「清潔な退廃ムードといった奇妙な持ち味がある...」に共通するものがある。つまりは、シルヴィは妖精。








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SYLVIE VARTAN, FOREVER